インドの伝承医学であるアーユルヴェーダは、南インドケララ州(アーユルヴェーダ発祥の地といわれる)では、医師の資格を持ったものが「処方」を行なう。
また、それに準じたものが「施術」を行なう。
私がお世話になった、ケララ州にある<アーユルヴェーダ・クリニック>でも、確かにそうだった。
実際に医師が診察を行い、その処方箋に従ったプログラムで、1週間2週間といった期間での治療が始まるのである。
それが長いと感じるか短いと感じるかは、人によって感じ方の差があるとは思うが、私は1週間のコースが心地よく、丁度いいと思ったのであった。
それは、日本での仕事で忙しい合間に取れたわずかな休みで、貴重な体験をするため、日数も2週間はとれなかったのである。
ただ、「行きたい」と志願した私の患者様は、2週間コースで体験されて、「アーユルヴェーダの良さは、1週間を過ぎてから分かってくる」と、おっしゃっていた。
たぶん、それは本当のことだと思う。
インドから帰国した、彼女の表情がキラキラと物語っていた。
アーユルヴェーダは、本場の南インドで学びたい。
それは、アーユルヴェーダを日本で学び、不完全燃焼な気持ちを、その南インドに託した。
確かに、日本でのアーユルヴェーダ・スクールは、人気だし、多い。
私は、一般的なことが学べる都内の某スクールで学んだが、解剖生理学の知識の持たない、しかも日本だけで知識を得た、とても失礼かも知れないが、手技はそこそこだが、稚拙な内容だった。
そのスクールで学んだことを、とても大っぴらに話せることはない。
しかし、卒業時には、「アーユルヴェーダ施術認定」をいただいた。
彼女たちは、それを「資格」と呼んでいたが、よっぽど「認定」と言い直してあげたかったが、かわいそうなのでやめた。
確かに、南インドのアーユルヴェーダ・クリニックで、たまたま一緒だった日本人の彼女も、アーユルヴェーダを教えると言っていたが、筋・骨・神経など、なにも知らなくてもやれると、面白い儲け話のように語っていた。
日本で国家資格ではない「アーユルヴェーダ」だが、せめて解剖生理学をセラピストたちに学んでほしいと思っている。
私自身も鍼・灸の国家資格を持つことで、最低限の解剖生理学を学んだ。
資格取得後に、縁あったセラピスト・カレッジでの簡単な<解剖生理学>の講師も行なった。
生徒たちには、とにかく「人の身体を預かる仕事として、最低限の知識は学ぼうね」と、やる気がでるように、授業も型にはめた感じより、実際に必要と思うことに力を注いで教えたつもりである。
こういった温度差のある日本とインドでのアーユルヴェーダが、きっと、現状としてあるのは。事実だ。
そんな私もインドの医師に、アーユルヴェーダの体質別オイルの作り方を知りたいから教えて!」と平然と頼んでしまった。
そのときの医師の反応は、今でも忘れられない。
自分たちがアーユルヴェーダの医師になるために、10年以上勉強したものを、最近はじめた私が、どうして理解できるのか?と。
私自身も、まだまだ、アーユルヴェーダの本質には近づけていないかもしれないが、日々、解剖生理学だけでなく、病理学などの「医学知識」をしっかり得て、アーユルヴェーダを治療として、自分が可能なもの、そうでないものを明確にし、進んでいきたいと思っている。
それは、どこか、中医学や経絡を取り入れた鍼灸師である私の姿勢である。
美容としてではなく、治療として「いい」と感じた私の感を、自分自身のアーユルヴェーダに繋げていきたい。
とくに、不妊症を長年してきた私自身が、最後に信じられた医学である。
それを、生涯としていくことが、私の「治療」としてのアーユルヴェーダにこだわるゆえんだ。